あ と が き |
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ぼくのいた大学は、有名な内ゲバ党派の拠点校だった。学内問題への取り組みは、ノンセクトの方が中心だったが、学校の外の政治問題となると、彼ら党派の方針に反する行動は許されなかった。
ある時、先輩が、この党派が「脱落派」と規定する市民運動系の集会に参加したことなどを咎められて、呼び出しを受けた。彼は、学生会館の奥まった部屋で半日にわたって軟禁状態におかれ、党派幹部に「自己批判」を迫られた。部屋の外では、男がバットの素振りをしていたという。
その場を何とかごまかして解放されたものの、彼は次に大学に来る時は必ず自己批判するよう求められていた。しかし彼は自己批判などしたくなかった。代わりに自分がそうした恫喝を受けたことを、学生たちに訴える決意をした。
学生自治運動の中心的メンバーだった先輩は、学生集会の場に現れて、全てを暴露したのだった。本人の口から事情を聞いた学生たちは皆怒り出し、そこにいた党派メンバーに詰め寄った。会場は騒然となった。党中央から派遣されて来ていた幹部たちが激高して彼のもとに押し寄せる前に、先輩は姿を消した。
この時、党幹部は、学生たちの面前でこう言い放った。 「この大学の学生運動史上、追求を恐れて窓から逃げ出したような奴はひとりもいない。あいつはファシストのXX派だ。今後一ヶ月以内に奴を殲滅することをここに宣言する」。
「殲滅」という響きに衝撃を受けているぼくに、別の先輩が小声でささやいた。「そう心配しなくていい。殺すときは殲滅の上に『重』が付くはずだ。半殺し程度で済むだろう。それも一ヶ月も姿をくらませれば無事に済むだろう。」
彼の言う通り、先輩は「殲滅」されなかった。随分後になって聞いた話では、この幹部は本部に戻ってから「ちょっと感情的になりすぎたかな」と、こともなげに言っていたらしい。
しかし先輩が大学に戻ることは出来なかった。
騒動の直後に、ノンセクトのOBが後輩たちの様子を見に来た。彼はこういったという。「あいつは政治が分かっていない。もう少しうまいやり方があるだろうに」。
その話を伝え聞いた時、ぼくはある意味では党派に対する以上の怒りとやりきれなさを覚えた。印刷室のゴミまで漁って学生の動きをチェックする連中、好きな時に「査問」を行い、反発すれば暴力も行使する組織に対して何で「うまいやり方」なんて態度が取れるのだ。そんな「政治」なんかクソ食らえだ。なんでそんなに寛容なんだ。
党派に対して、またこういう「寛容」な人々に対して、いつか一矢報いてやりたいとずっと思って来た。後になって別の大学の友人が、やはりささいなことで自己批判を迫られて拒否したところ、数人がかりでリンチにあった。一部の友人たちが「実力で報復する」ことを検討したのだが、ぼくは真っ先に志願した。全く若気の至りであるが、本当にやっていたら大変な目にあったことだろう。相手は組織なのだ。
部室を勝手に使ったという理由でイスに縛られて竹刀でメッタ打ちにされたまた別の大学の知人もいる。ぼくは67年生まれだ。そんな昔の話をしているわけではない。
こうした個人的な怨恨の歴史もあって、ぼくは自分や親しい友人が同様の目に遭った時は少なくとも事実経過を全て暴露しよう、「都市伝説」として人々の噂にのぼって消えてゆくようなことだけはすまいと、ずっと前から思っていた。
そうした意味で、「江戸の仇を長崎で」少しは討てたかな、と感じている。なお「ロフトプラスワン襲撃を許さない共同声明」は、このパンフレットの発行・販売を以て終了し、同呼びかけ人(「常連客有志」)は解散します。長い間ありがとうございました。
(鹿 島 拾 市)