模索舎月報 11月号1997年11月号巻末の「Voice of Mosakusya」全文を掲載 |
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■先月号のVoice of Mosakushaでロフトプラスワンでの暴行事件について触れましたが、その後のこと。(注:7月16日の出演者・佐藤悟志さんへの暴行は2度ありました。1度目はトークライブの始まる前にプラスワンの入っているビルの半地下部分(踊場のような所)で、2度目はトークライブの終り頃にプラスワンのステージ上で。)
▼「SENKI」(ブント機関紙)l0/15付号に今回の件の記事が初めて載る。事件当日プラスワンに出向いたのは、ブント(旧 戦旗・共産主義者同盟)の有志メンバーであり、また、きっかけとしては、先立つ7/8のプラスワンでの「一水会・鈴木邦男×ブント・荒岱介」のトークライブにて佐藤氏が言論の域を超える誹誇中傷のビラ撒きと発言をしたことである等が書かれている。
▼ブントから「模索舎月報」記事に関する訂正要求がある。田中氏と直接会って(名木田・前田)、また、タカクラ氏と電話で(名木田)話す。(両氏共、事件当日のメンバーではないとのこと。)「SENKI」10/l5、及びl0/25付号に書いてある通りであり、事実としてはブント有志で話をしに行った(プラスワン前で佐藤氏を待つ)が、佐藤氏の方からいきなり警棒と催涙ガススプレーで暴行を加えられそうになったので、そっちがその気ならと反撃したとのこと。従って「V of M」で名木太(=名木田です)が書いている「対話の意志無く」という部分は事実と違う、対話の意志が無いのは佐藤氏の方であるとの指摘。また、1度目、2度目とも若い者の「若気の至り」であったとのこと。
1度目の暴行の「きっかけ」としてはそうだったのかと思い、次号にて何らかの文章を書くと伝える。但し、意図としては「暴力であろうが対話であろうが、コミュニケーションとして成立ち得ないものはダサイ」ということであったので、前号記事は「SENKI」を読んだ上でも、文意としては訂正はないと伝える。
(私は「ロフトプラスワン襲撃を許さない共同声明」(襲撃を許さないロフトプラスワン常連客有志、呼びかけ人=大田リョウ・鹿島拾市・玄田生)と「私たちはなぜ共同声明を呼びかけるのか」(同)というビラを読んだのと、当日の2度目の2人組による一方的暴行現場のビデオ(プラスワン撮影)を見たのとで、暴行があったこと自体は事実であると判断して、その一方的な〈力量的に)暴行のみを題材として書きました。)
▼佐藤氏に確認を取る。「SENKI」に書いてあることは事実と異なる。プラスワンへ到着してすぐに暴行を受けた。そこに居合せた玄田生氏が、目撃している〈その後玄田氏はメンバーの1人に羽交締めにされる)。警棒とスプレーは所持していたが使っていない、とのこと。
▼ロフトプラスワンのスタッフに確認を取る。7/16の開場前に、軍手をした人を含め、10人位が点々と配置された形で立っていて怪しいと思い一人に話しかけると「人を待っている」と答えた。その後、助けを求める声がしたので行ってみると、階段部で玄田氏が羽交い締めに、ビルの半地下部で佐藤氏が3人に蹴られていた。「住民が警察を呼びますよ」と言うと、暴行を止め立ち去った、とのこと。
▼「共同声明」呼びかけ人の鹿島氏と話す。「SENKI」紙上の記事には、かなり事実を歪曲した記述がある、とのこと。詳しく伺う。もうじき、まとめた反論ビラを出す、とのこと。■以上、模索舎がお話を伺ったことのみで、また、詳しくお聞きしたことであっても細かい部分については誌面的にも書ききれませんので、ご関心のある方は是非とも、下記に記載しましたそれぞれの連絡先まで情報をお問合せ頂きご判断下さい。また、模索舎に入っているビラにつきましては、ご希望の方には実費(80円、通販と兼ねての場合は無料)にてお送りすることに致します。「SENKI」については取扱っていますので、通常の通販の方法でご注文頂けます(関連記事は10/15、10/25、11/5付号、各315円)。
▼ブント=せんき社(「SENKI」)
住所=埼玉県蕨市塚越1一13一3塚越ビル
TEL=048一445−2921
▼襲撃を許さないロフトプラスワン常連客有志(「ロフトプラスワン襲撃を許さない共同声明(8/6)」)
住所=東京都新宿区西新宿7一12一1トガワビル3一346 鹿島方「共同声明」宛
PHS=050−996一1803、E−mail=punsuka@t3.rim.or.jp、HomePage=http://www.t3.rim.or.jp/〜punsuka
▼ロフトプラスワン非常連客有志/ファシストの暴力を許さない市民の会(「『襲撃を許さない共同声明』の自分勝手(10/10)」)
※現在の所連絡先不明です。怪文書ではとの疑いもかかっています。ご存じの方はお知らせ下さい。お知らせ頂けましたら必ず次号にて掲載致します。■前回、最後がうまく書ききれなかったので、とりあえず、文意通りに直すとすれば「対話の意志無く」=>「対話の成立ち得ない」です。また、補足すると、対等な力関係での喧嘩や、負けると分っていてながらも怒りを押えきれず、悔しさを我慢しきれずに振う暴力は、十分美しいことがあると、私は思います。それは、コミュニケーションまたは表現と言えるかもしれません(「悪用」されることもあると思うので、強調はしたくはないですが)。また、集団か個人かという切り方も出来ないと思う(集団より強い個人もあり得る)ので明確な線引きなんて難しいですが、双方の力量関係を美的に判断するしかないと思います。言論についてもそうですが、例えばメディアを持っていないものたちに対して、マスメディア上で一方的な力量で批判するなどは、なかなか対等であり得ないので、注意が必要なのではないでしようか。また、ゲリラ的なことが面白いことは十分あるし、落書等でも、「弱者」が「強者」に対してするものなら共感が持てることがあるけれども、力量的「弱者」に対する落書はダサイとしか言いようがない。結局、喧嘩するなら対等にやろう、と言いたかった訳です。会話が成立ち得ない力関係の中では、暴力に訴えざるを得ないことがあるでしょう。だので、会話は保証されるべきです。 その時、「対権力という構造」から、「民主主義社会での対話」という別の困難な作業へと移行しなければならないのでしょう。
■その後、個人的コメント。共同声明は「ロフトプラスワン襲撃〜」とあるが「佐藤氏に対する襲撃」ではないかという賛同人からの意見が、賛同人リスト(l0/12)に併記されている。言われてみればそうなので、「プラスワンでの襲撃〜」とすべきだろうと思う。
ただ、付け加えると、私の中では、この事件の取上げ方として、それなら、単純に「佐藤氏への〜」としちゃっても良いかというと、そうでなく「プラスワンでの」という意味は大きい。以前から、プラスワンはイメージとして、私の中で模索舎(ミニコミ)と重なっている所がある。それは、何故かというと、誰でも容易に自分の意見を発表することができる(模索舎ではミニコミ持込み。プラスワンでは1日店長として、もしくは「野次馬」として参加できる。もちろん、厳密に言えば、言が立つ立たない、文章力があるなしのハンディはある)ことと、対話を重視している(模索舎は主張によらず扱う。プラスワンではやはり「野次馬」として参加でき、それにより、講演会などでの会場からの発言とはかなり異なる発言が、時間的にも、批判的な意見が言える雰囲気としても可能)ということだと思う。なので、今回の事件は私としては考えさせられました。そして、そういったマスコミと比較して、異論反論がその場で極めてしやすい(ほぼ保証されていると言って良いし、そのスペースを運営する人問は自らの意志として、そのために経済性とは全く別の次元で力を注いでいると言っても良いでしょう)空間において、まさにその「誰もに発言の機会が保証された空間」において、暴力を振った後に逃げるといったことが起きた(模索舎で言えば、発行者不明での言い逃げ)ことについて疑問を感じざるを得ないということがあります。暴行のきっかけが、そのプラスワンでのライブ(7/8)にあったこと、また、2度目の暴行自体が、プラスワンのライブ中(7/l6)にあったこと(もちろん陰であったらもっと質が悪いが)が、プラスワンと無関係に語られることではないと思わせます。つまり、ブントが佐藤氏に反論があるなら、8日のトーク中にするべきであったし(しかも、会場はほぼブントのメンバーが占めていた。私もトークを楽しみにして行ったが、一杯で入れなかった)、16日についても、会場にて発言なり野次を飛ばすべきだったと思います。
■「SENKI」には、賛同人の中にモルモットが入っていることについて批判がなされていますが、モルモットに関しては私も批判的です。佐藤氏の飼っているモルモットは、もしかすると、「共同声明」を支持していないかもしれない。ペットはその飼主が「保護者」であると考えれば、飼主が責任と同時にペットの自己決定権も代行するといえるかもしれません。しかし、子どもの自己決定権は、親や学校にみだりに「指導」されるべきではなく、尊重し育んでゆく(選ばせる)ベきだと思うし、それが自立へと向うことになるのでしよう。それにならうとすれば、モルモットの自己決定権も無視はできないかもしれません。今回一番微妙な問題でしょう。
(以上の文章を何かに引用すること自体は、何ら問題がありませんが、部分的に引用されますと文意を損ない誤解を招く恐れがあるかもしれませんので、その点には呉々もご注意下さい)
■やっぱし、「公平」に書こうと努力したけど、ダメだ。やっぱどう考えてもブントが悪い。体質改善不足。頑張ろう! 体質改善! もう一回やり直し。お願いします。謝って下さい! 大体ね、大の大人が、プラトンかアリストテレスか知らんけれども、理屈ばっかりこねとったらダメ! 今回のはね、理屈じゃなくてね、真心の問題だから。もうね、今謝ったら私ゃ許します。もう、許すどころか、誉めます。みんなで応援しよう。批判したり、励ましたりしながら。みんなで作っていこう! この状況で謝れる新左翼なんて、そんじょそこらにゃいないよ。ここで謝ったらもう、それこそ、お、これが私たちの求めていた「前衛」!とみんな目を見張りますよ。よくやった!ってね。画期的なことですよ。ここが日本中で超えられない一線でしょう。「SENKI」紙上の「もののけ姫」批評の投書は良かった。「もののけ姫」を見た人たち、アシタカの誠実さを想起しよう! 官僚からなにから「腐敗」しまくっとる今の社会! もう、みんな疲れたでしょう。新しい構造を今、目の前から手始めに勝取って行きましょう! 頑張ろう! 正直に生きよう! 本当、本気ですから。
ここ最近、何でこうなっちゃうかなあと悲しくて涙出そうでしたけど、頑張ってる人はもう本当、みんな文字通り「体張って」心決めちゃってるんですから、私ゃもう感動しましたよ。他にもヤクザがらみの一件で楯突こうって人もいらはるし。私も体張るから、本当、もう、みんなに呼びかける。頑張ろう!【名木太】■冬も近づき空気も凛としてさわやかさをましてきました。相模湾では富士山がくっきりと見え銭湯の背景のようです。こうなると集品のバイクはつらいんだな。
さて「ロフト・プラスワン」での出来事について「SENKI」紙上で3週に渡り見解が述べられ、11/5付号ではこの月報までが言い分の材科として使われております。「ほう、この誌面もけっこう影響力あるもんだ。」と改めて思ってしまいましたね。では、襟元ただしながら「SENKI」の見解についての個人的な疑問について、「あえて」書かせてもらいます。
まず、何故プラスワンという対岸で起こった火事にこんなに関心を持ち活字にまでにして言及しているのかというと、模索舎とプラスワンが活字媒体と討論という形態はちがえど「問われない思想性」のもとで自由に意見を言い合える場(提示できる場)ということで共通するものがあると思っているからです。たしかに模索の場合はとりあえず文章等の表現形態をとるので、プラスワンのように思想・考え方の違う当人同士が対面し一即触発の場面は回避できているのかもしれません。ただ、なされた発言〈表現)に対してその土俵(プラスワンなら発言、模索なら文章等の表現)以外で解決をはかろうとする事はありうる事態ではと思ったわけです。これは場を運営するものとしてはゆゆしき事態です。
「対話をしにいった」として複数が1人をというのは対話の前に威圧になるでしょう。そして、その相手が向かってきたとしても多勢に無勢、危倶をとりあげ会話をする方法もあったはず。現場において仲間として暴行を止める人間もいない、周囲(外野)を巻き込んで対話をする姿勢をみせずにその場からいなくなる。複数であるならそれくらいの思慮と配慮は必要でしよう。その起こしてしまった行為を批判もせず「純な若者の怒り」として認めてしまうなら、先月でふれた「暴力一権利の止むを得ざる行使としての」とは極北の「《悪》の主題としての暴力」として「荒廃」への退行でしかないでしょう。
安室が結婚して号外が出る世の中なのに、「V of M」ではこんな感じで…。とほほ。今年で模索も27年、なが〜い歴史を感じます。Can you celebrate?【前田】
※今回、分からない人にはかなり分かりづらい内容で占めてしまいまして、すみません。
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