文責:菊池久彦
さる○月×日、大阪の繁華街にあるトーク系居酒屋「ロフトマイナスワン」において、「ロフトプラスワン事件を語る夕べ」なる催しが開催された。私、菊池はパネラーとして招かれ、おっかなびっくり会場へ向かった。幸い、会場入り口には「プロレスラーのような身体をした」男性もおらず、とりあえず安堵に胸をなで下ろしたものである。
参加者は約50人ぐらいだっただろうか。「ロフトプラスワン」のような意味不明の熱気はないものの、フランクで打ち解けた雰囲気の中、和気藹々と催しは進行した。その時点では、まさか最後にあのような事件が起ころうとは、予想だにすることはできなかった。まさに、神ならぬ身の何とやら、である。
ともあれ、以下、当日の模様をテープから再編してお届けしよう。なお発言中、「編」とあるのはミニコミ『現代の菊池』編集部、「菊」とあるのは私、菊池久彦である。
はじめに
編◆ 自称ファシストの佐藤悟志氏がブントという政治党派から暴力を受けた事件、いわゆる「ロフトプラスワン事件」について、菊池さんはブントの対応を批判する「共同声明」の賛同人になっていますね。今回の場合事態はきわめて単純で、佐藤氏がブントの荒氏を批判するビラを配布し、批判の言動を行ったことに対し、ブントは多勢を頼んで暴力によって封殺しようした、と。その後ブントは自らの機関誌上で、事実の歪曲および佐藤氏や共同声明の賛同者に対する中傷を行いました。
事実経過に関してブントに正当性がないことは明らかですが、それについては多くの人が述べていますし、屋上屋を重ねるのも何ですので、ちょっと違った角度から一言。
菊◆ そうですね。まぁ、私が今回の事件で一番よく分からなかったのは、たかだか個人のビラや発言に対して、百人単位の構成員をもつ組織が、なぜあのような対応を行う必要があったのか、ということです。抜き差しならない「組織対組織」の対立があるわけでもなければ、いわゆる政治主張をめぐる対立があったわけでもないですね。
編◆ ブントの側は、佐藤氏が荒氏に対して聞くに耐えない誹謗中傷を行ったため、ブントのメンバーが「やむにやまれず」「血気にはやった」(註1)結果だと言っています。
菊◆ 悲しいかな、今回は第三者の目撃証言も多く、その主張が虚偽のものであることがはっきりしてしまいましたけどね。まぁ、確かに「身内」が批判を受けた場合、それを助けようとするのは、当然のことでしょう。佐藤氏のビラについては、内容はともかく表現上は、挑発を意図したものと受け取られるのもやむを得ない。その場でカッとなることだって、いいことではないが、起こりうる。
しかし、わざわざ日を改めて、部隊を集めて、おそらく埼玉県から電車に乗ってきたわけでしょう。しかも軍手まで持って。なぜ、そこまで興奮するのか。私なら池袋あたりでやる気をなくしますけどねぇ。よく分からないですよ。
編◆ それはやはり組織的な指令だからじゃないですか。
菊◆ 確かに党派の場合、組織的な指令がなければ十人単位の人間を動員することはできません。おそらく指令なり決定があったこと考える方が妥当です。ただ、それにしても、私はそもそもなぜそんな指令、言い換えれば組織的政治的な決定をしたのか、よく分からない。
唯一考えられるのは、今回の事件が「懲罰」として行われたということですが……。
共同体問題
編◆ と、言いますと。
菊◆ 要するに、佐藤氏が暴力を受けたのは、彼がファシスト(自称)だからでもなければ誹謗中傷を行ったからでもありません。いわんや「H君」に「平手打ちを喰らわせた」(註2)からでもない。そうではなく、彼がブントからの「脱会者」であり、しかも泣き寝入りしなかったからです。
だいたい、ブントは前身の「戦旗・共産同」の時期には「大衆的実力闘争」を呼号し、「ゲリラ・パルチザン闘争」として「飛び道具」なども使っていたわけですね。今や路線転換したとは言え、警察などからは依然「過激派」と見なされているはずです。状況が状況なら、今回の事件でも、下手をすれば刑事告訴を受けて幹部の何人かがパクられたり、事務所にガサが入ったりしてもおかしくない。組織問題に発展しかねないでしょう。
編◆ ということは、やはり今回の暴力行使は自然発生的なものだったと……。
菊◆ いや、確かに「血気にはやった」とかいう言い訳で済ますのは、ブントにとって今回の暴力行使がはなはだ曖昧な形で行われたことを示しています。もしも佐藤氏へのテロに相応の重要性があるならば、そのことの持つ政治的意味を機関紙上で訴えなければいけないはずです。政治党派を名乗る以上、当然のことですよね。あるいは、政治的行為が最終的に結果によって判断されるという点では、今回の行為が及ぼす影響についても、予め考えておく必要がある。しかし、明らかにそのいずれも、ブントの事後対応からは窺えません。つまり、暴力の「費用対効果」や自らをとりまく政治的状況に関する判断がないという意味では、「非政治的・自然発生的」なんです。
しかし、組織の機構がどうなっているかは知りませんが、事後的にせよ機関紙上で言明をしているわけですから、中央委員会レベルでの総括会議ぐらいはあったと思います。その上で、「実行犯」がどうなったのか。処分がないとすれば、彼らの行為は組織的に容認されたことになりますが、それこそ下手をすればとんでもない波及力を持つ行為ですよ。「血気にはやって」であればあるほど、迂闊な行為として厳しい総括が必要です。そして、政治党派である以上、その総括は何らかの形で公開されねばならない。ミスをどうフォローしたか、その点の情報公開は信用度に関わってきます。どうなんだろう。少なくとも、外からは窺えませんがね。
ただし、先にも言いましたが、具体的な戦術という点では、組織的な決定に基づいて行われていると見えざるを得ない。つまり、「政治的・目的意識的」と言う以外にないのだから、おかしな話になってくる。
編◆ かなり分裂した問題意識の中で生じたということですねぇ。
菊◆ ところが、この一見矛盾する二つの動因は、実は簡単につながるんですよ。「かつての同盟員が公然とイチャモンをつけ、組織の人格的代表者がコケにされた。このままでは示しがつかない……」、と。つまり、佐藤氏を「かつての身内」として捉えたが故の「懲罰」の行使に他ならない。だから政治的な位置づけも曖昧なんじゃないでしょうか。
言い換えれば、実務上の手続きとしては組織的な対応を踏まえて行っている。しかし、その対応はブントという「知的共同体」(自称)以外には説明不可能である。ただし、テロ対象の佐藤氏にはおそらくよく分かるはずだ、という見込みがあった……。
編◆ つまり、やられた佐藤氏ならば「懲罰」として理解するだろうという、ブント側の見込みですね。なるほど。とすると、そこら辺に多少の救いがあるような気がします。他の党派であれば、殺されていてもおかしくないわけですから。
菊◆ とんでもない。明確な位置づけを持った「政治的暴力」でないからまだマシだ、というのは恐ろしいことです。というのも、そこでは暗黙の内に暴力の自己増殖が承認されているからです。政治的な効果を考慮し、「ここまで」と線引きをした上で行われる暴力であっても、その「線」をいとも容易く越えてしまうのは、往々にしてあることです。いわんや自然発生的暴力においておや。まして「かつての身内」であれば、近親憎悪も加わります。ブントはレーニン主義を自己批判して、左翼の「パラダイム・チェンジ」とかに励んでいるそうですね。そうした姿勢は悪いとは思いませんが、結果がこれではすべてが「推して知るべし」ではないですか。レーニン主義を封印したところで、別の「パンドラの筺」を開けてしまっては元も子もない。
まぁ、私自身、「実際ブントでよかった。○○派だったら死んでたね」と思わないこともないんですが、それはあくまで結果論でね。仮に殴られた際に佐藤氏が倒れて打ち所が悪ければ、あるいは佐藤氏に持病でもあれば、どうなってたか分かりませんよ。
もちろん、だからといって「政治的暴力」がマシだというわけではない。ある人が述べたように、政治的暴力は「奴は敵だ。敵は殺せ!」という命題に基づいて発動されます。政治的暴力の有用性を公然と宣言する党派もいますが、その有用性を客観的に確証することは不可能でしょう。それは信者の中だけに通じるドグマでしかない場合が多い。
編◆ なるほどね。
倫理問題
菊◆ ただ、私は佐藤氏の方にも、自らを「かつての身内」と捉える部分があったのではないかと思います。
編◆ たしかに、いきなり会場でビラを撒いてしまうっていうのは……。
菊◆ そりゃ程度の差はあるかも知れませんが、私は例えば北朝鮮の最高人民会議に乗り込んで、金正日を批判するビラを撒く気にはなりません。相手が理解するはずがないと思うからです。統一原理やオウム真理教に対しても同じ。仮にやるとすれば、それは政治的パフォーマンスの一環として、です。つまり、周到な準備をした上で、相手のビラ撒きへの対応を利用するということです。
編◆ それだったら、佐藤氏の場合もそうなんじゃないですか。
菊◆ いや、会場で撒かれたビラを読みましたか。あれは、先ほども言ったように表現上はかなり口汚い文言が使われていますが、内容的にはきわめて真摯な批判ですよ。愚直と言ってもいい。しかもブントの、あるいは荒氏のかつての言動と現在とを比較して、責任を突きつけているわけです。つまり、相手を責任主体として承認しているわけですね。
編◆ どうですかね。むしろ、聴衆である同盟員に対してのアピールじゃないかな。あるいは、過去の自分に対する総括の方が大きいかも知れないですね。
菊◆ そうだとしても、同盟員には分かるはずだ、という信頼があるんじゃないですか。
編◆ じゃあ、佐藤氏は「荒さん、立ち直ってくれよ!」、あるいは「ブントのみんな!そうじゃないだろう!!!」といった気持ちから、いわば愛するあまりああいうビラを撒いたと、まぁ、極端に言えばそういうことになりますけどね。
菊◆ そこまで言うと、佐藤氏は怒るだろうけど。まぁ、「ヤマザキ、天皇を撃て!」じゃなくて「ヒラヌマ、戦旗を撃て!」と。どうなんだろう、やはりあれだけの熱意というか、かなりの分量の文章を書き、印刷をし、地下鉄で場所に赴く、と。もちろん文章を書くためには、模索舎で『理論戦線』とか『SENKI』を買って読んでるわけでしょう。熱い思い、「一人でも分かってくれれば」みたいなのがあったのでは……。
編◆ 二回目に襲撃を受けたときには「坂本弁護士になる」発言をしていましたが。
菊◆ あれは、まぁ、状況が然らしむるところ以上ではない。当初からブントの解体もしくは再編を意図していたとすれば、「脱会者」や現同盟員の家族の組織化、損害賠償請求のための資料の収集、弁護士との打ち合わせ、公然事務局の設置と潜行本部の確立などなど、実際にでき得る範囲はあるにせよ、それでもお金はどうするのか、同居人は、友人は、モルモットは……。ともあれ、予め行動を起こす前に何らかの準備が必要です。
編◆ そういう準備はまったくしていませんね。
菊◆ もちろん、自然成長的に非和解的な対立を自覚することはあるでしょうが、佐藤氏は最初からきちんとしたビラを用意していたわけですからね。
編◆ しかし、あのビラは政治的なものというより、きわめて倫理的なものですよね。
菊◆ いや、まったく。彼の書く他の文章を読んでもそうです。もっとも、倫理的というのはこの場合、よくあるような一般的なモラルに寄り添って論を立てたり、誰もが疑えない真・善・美を押し立てたりしているわけではなく、そうした一般的な善悪の価値基準がが偽装し隠蔽するものを掘り起こし、そこに価値定立を行うという立場を指しています。
まぁ、彼はそれが恥ずかしいものだから、表現上はわざわざ露悪的にしてますけど。
ファシスト問題
編◆ いや、あの人は基本的に過剰な人だから、自分でも無意識のうちにああいうスタイルになっちゃうんですよ。
菊◆ (笑)決して保守にはなれない。どう転んでも過激派だっていう。
編◆ (笑)しかし、大きな問題は、世の中にはそれが分かる人と分からない人がいるということです。
菊◆ そう。普通に読めば、それこそ口汚い中傷か、単なる差別文章ですからね。ファシストを自称しているのもそうですけど、それでいきなり間口が狭くなるんでね。
編◆ しかし、本人がファシストを自称しているからといって、そのまま「こいつはファシストだ!」っていうのも、芸がないというか……。
菊◆ とくに左翼業界では、「いい人・普通の人・悪い人」ときて、大悪人がスターリン主義者、極悪人が帝国主義者、最低最悪なのがファシストと、まぁその程度の捉え方ですね。しかし、そんなことでファシズムを否定できるなら、誰も苦労しません。
編◆ そもそも、最低最悪でデマゴギーを旨とするのがファシストだとすれば、「俺はファシストだ」という自己言明をどうして信じられるのか。(笑)
菊◆ (笑)ここにも先ほど触れた「身内」問題が現れているように思うんですよ。
編◆ どういうことですか?
菊◆ つまり、文言上ではブントは佐藤氏をファシストと認めているように見えて、しかし、その実認めていない。仮にファシストによる反革命攻撃となれば、そこには相応の政治的な対立が生まれ、暴力もその延長線上で行使されるはずです。しかし、そうではない。「ファシスト佐藤を完全に撃滅!」ではなく「血気にはやった」で済まされている。
編◆ その点でも、「かつての身内」への「懲罰」が窺える、と。
菊◆ そうです。そして、一種の「不徹底さ」を感じてしまうわけですが、しかし、仮にそうした、「ファシスト撃滅」というような対応がなされたとすれば、私としてもはるかに深刻な問題に直面することになったでしょう。
編◆ 「ファシズムとは何か」という問題ですか?
菊◆ それもありますが、ここでは措いておきます。私が深刻だというのは、ファシストならば殴ってよいのか、という問題です。
これは、論理的には、ある一定の価値基準をによってマイナスに位置する人間を規定すること。そして、そう規定された人間には処罰も止むなしと考えることになります。突き詰めれば「殺していい理由」ですね。もちろん、これは平時においては、そう簡単に首肯されません。しかし、日常の生活世界に裂け目ができる瞬間はあるわけですね。戦争や革命がそうですが、考えてみれば犯罪もそうですから、日常にも裂け目は遍在している。
編◆ 犯罪への処罰はやむを得ないと思いますが。
菊◆ そうです。しかし、処罰の根拠はかなりの程度恣意的なものです。まぁ、平時における犯罪ならば、回復すべき秩序というのはとりあえず存在する。しかし、革命や戦争ならばどうか。まして相手がファシストとなれば……。
編◆ 迫り来る反革命に「和をもって尊しと為す」というわけにも……。
菊◆ そこですね、深刻なのは。まぁ、私も中曽根康弘を見れば眉毛を剃り落としてやりたくなりますし、橋本龍太郎には強力な脱毛剤を頭からぶっかけてやりたい。クリントンには絶対に外れない「貞操帯」、スハルトには豚肉をイヤというほど喰わせてやりたい。機動隊にどつかれたら、どつき返すのは礼儀です。
暴力問題
編◆ となると、「暴力一般を否定すべきでない」ということになりますか。
菊◆ いや、たしかに非直接的な、構造的暴力に対して対抗的暴力が要請される場合もあれば、そもそも暴力を「一般」として括ることは不可能、無意味だという考えも成り立ちます。また、どのみち人間はある特定の立場なり党派性なりを不可避的にもってしまうが故に、暴力を含む争いを免れた、完全な中立性などというものは欺瞞以外でないのかも知れません。社会契約論から言っても、「万人に対する万人の闘争」があったが故に、コミュニケーションの場、ルール、つまり社会というものが形成されたとも言えるわけです。社会は決して固定され完成されたものではないということを考えれば、そのつどの「闘争」は社会形成への不可欠の契機であり、そこには当然暴力も含まれることになります。こうした意味での暴力を否定することは困難です。
編◆ とは言ってもねぇ。
菊◆ ええ。だから、問題は個別具体的現実的な暴力への対処として考えられねばなりませんし、暴力が存在する現実の「認識」とその「評価」は分けて考えるべきです。とりわけ、被抑圧者の暴力が容易に抑圧者の暴力へと転化し、それを構造的抑圧者がいいように利用し、また嘲笑してきたという歴史的経験を、最大限重く見る必要があるのではないか。
編◆ ロシア革命、文化大革命、カンボジア、北朝鮮、そして「内ゲバ」。笑っているのは世界ブルジョアジー、と。
菊◆ もちろん左翼系だけではありませんが、資本制生産様式という「構造的暴力」を廃絶するという目的意識を持ったはずの左翼が、それ以上に直接的暴力から逃れられなかった、この事実は厳として存在しています。
よく「激昂すれば手ぐらい出るよ」と言う人もおり、左翼業界にはそれが微笑ましく受け取られる文化的土壌もあるわけですが、いまあなたが言ったような歴史的経験を踏まえれば、党派に限らずその辺りはもっと思想的課題として重視すべきです。手から竹ザオ、バット、鉄パイプ、バール……。こうした武器の、それこそ「血気にはやった」自然発生的なエスカレートは、イヤと言うほど経験してきたはずですがね。
にもかかわらず、この期に及んで、単に文言上でレーニン主義を否定したり、生じた結果に対して「血気にはやった」と言い訳をすれば事足りるのであれば、何も考える必要はない。まるで夢心地です。
編◆ では、どうすればいいんでしょうか。
菊◆ 分かりません。(笑)俺に訊いてどうするのか?
編◆ (笑)これだけ喋っておいて……。
菊◆ (笑)……まぁ、私が言い得るとすれば、それは今回の一連の過程に光を見たということでしょうかねぇ。問題を公開して論争をする、あるいは論争の過程で判断の共有と問題点の明確化を図っていくという。いろいろ問題点が出されましたよね。
編◆ 「ファシストだから仕方ないのか?」とか、「そもそもロフト的な空間のありようそのものが、暴力を無自覚に許容する余地を残しているのではないか」とかね。かなり画期的な状況が生まれました。
菊◆ 本来ならば、こうした開かれた意見交換の場を作り、その中で論点の整理や問題点の明確化など、知的モラル的な面での主導性を発揮することこそ、社会運動を行うものにとって第一に必要な任務だと思うんですよ。にもかかわらず、「知的共同体」を自称するグループはと言えば……。
編◆ デマと中傷に終始、と。そういえば、ブントの流したデマに関しては菊池さんも一言あって然るべきじゃないですか。
「安企部」問題
菊◆ あぁ、例の「塩見証言」ですか。
編◆ えぇ、要するに佐藤氏の「悪辣さ」を証拠立てる目的で塩見氏の証言を引いているわけですが、それによると「佐藤は、李英和やRENKなど韓国安企部(韓国版CIA)の手先と手を組む『挑発者』だ」となっています。ところが、「共同声明」の呼びかけ人が塩見氏に確認をとったところ、「俺はそんな話はしていない」とのことでした。
菊◆ 私はRENK(救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク)の事務局をしていますが、実際にそうした事実はありません。また、ブントから塩見氏の発言を確認する問い合わせもありませんでした。
ここから二つのことが言えます。塩見氏が本当に言っていないのであれば、純然たるブントのデマですね。逆に、塩見氏が実はそう言ったのであれば、ブントは他人の発言の「裏とり」さえできない、あるいは、「裏とり」をせずに「風評」を垂れ流しながら平然として恥じない組織だということになります。
編◆ 許しがたいことですね。
菊◆ いや、そもそもこのようにしかできない、それ以外の能力が欠如している人に対して怒っても、無意味です。端的に気の毒と言う以外にない。最終的に塩見氏に責任を負い被せようとしたのかどうかはわかりませんが、客観的にそういう波及効果をもたらすことくらい、気がついてもよさそうなものですけどね。まぁ、これも、そこまで慮る能力が欠如しているのであれば、仕方がありません。
ちなみに、新聞でも出ていましたが、金大中氏が大統領に選出される過程で、韓国安企部は金大中氏の当選を阻止するために北朝鮮の当局者と謀議を行い、「金大中は北と通じている」という「北風」工作を画策したようです。結局、バレてしまい政界スキャンダルに発展しました。現在、安企部に対しては粛正人事が行われています。
編◆ 要するに、韓国安企部は反民衆的ではあっても、必ずしも反北朝鮮(体制)とは限らない、ということですねぇ。
菊◆ 詳細はもっと突っ込んで見ていかなければならいだろうけど、「敵の敵は味方」のような単純な図式主義では何も明らかにならない。塩見氏を使って佐藤氏に「北風」を送ったところで、それはたかだか安企部レベルの情報操作に過ぎないんですよ。
しかし、まさしく問わず語りに、自発的にボロを出してますよねぇ。いいんだろうか、こんなことで。
編◆ 反論すれば反論するほど自縄自縛に陥ってますね。
おわりに
編◆ えーと、時間もオーバーしたようなので、そろそろ終わりたいと思うんですが、他に何か。
菊◆ じゃあ、最後に一言、佐藤氏の今後について。
まぁ、今回の事件では、結果的に佐藤氏の側の「勝ち」というか、佐藤氏の批判をブントの側が自らの行動で証明するような結果になってしまったわけですが、ただ、これはあくまでも「敵失」だと思うんですね。
また、佐藤氏の問題意識としては、基本的に左翼政治における欺瞞なり虚偽なりを暴露し、旧来的な左翼のあり方に引導を渡す、というものがありました。これは、現在も左翼業界に片足を突っ込んでいる私としては、内心忸怩たるものがあります。というのも、旧来的な左翼政治の清算は、何よりもまず当事者が行わねばならないからです。
しかし、私は佐藤氏のような行動はとりません。それは、私が臆病だから、また、私がブントとは何の関係もないからでもありますが、基本的には運動と思想的内容で勝負すべきだと思うからです。直接的な摩擦は往々にして実務に時間をとられるわりに、単なる「ケンカ」に終わりがちです。相手がショボければショボいほど、そうなります。闘争の渦中は充実感があっても、後に残るものは案外少ない。よく運動の後退期には会議で議論ばかりして、それを運動と同一視してしまいがちです。その後には分裂。気がつけば運動自体はひたすら消滅の一途、と。
今回の場合は、先ほども言ったように論争の過程で有意義な論点も出ましたし、佐藤氏の友人などの尽力で組織的な対応をすることができました。その意味では実りがあったと思います。
しかし、そのことで佐藤氏が、たとえばブントとの組織的な対抗関係を継続させるというのであれば、それはおかしなことになります。もちろん、私も含め友人知人の多くは佐藤氏の考える左翼批判を評価しています。ただ、それは政治的なものと言うよりは倫理的な評価だと思うのです。佐藤氏のブントに対する批判は、彼自身の「私憤」と左翼業界への「公憤」がない交ぜになっていたと考えられますが、それゆえにこそ、すぐれて倫理的な闘争でもあったわけです。
しかし、倫理的な問題意識をそのまま政治行動につなげると、あまりよい結果は招きません。両者は最終的には統合されるべきだとしても、方法論は各々異なるからです。佐藤氏がこのまま第二幕へ、つまり政治的な闘いへとつなげるつもりであれば、それはやめるべきです。少なくとも仕切り直しが必要です。勝利宣言をした後、きちんと撤退するのが政治でしょう。 そうした意味からも、佐藤氏が今後もブントと直接的な対抗関係を維持する意義は、はっきり言って存在しない。すでに勝ってしまったのだから、これ以上やっても相互絶滅戦になるだけです。これが単に佐藤氏と荒氏の「タイマン」であれば、相互絶滅戦もいいでしょうが、実際、総力戦に至ることは避けられません。となれば、総力戦の中で倒れた人々に対して、佐藤氏もまた戦争責任を問われることにもなるわけです。
むしろ、いま佐藤氏に求められるのは、自らの左翼批判の論点を現実の市民社会の中で普遍化していくこと、自らの倫理性を積極的に現実化していくことではないでしょうか。これは、左翼を相手にした勝ち戦よりも、はるかに困難な闘いです。そこでは、いたずらに間口を狭めがちな佐藤氏の自称や文章表現は、多くの場合マイナスに作用する可能性が高い。「事無かれ主義」の私から見れば、「労多くして……」という気がしてなりません。
自らを「村外れの狂人」とした上で左翼の偽善を暴くのは、例えば呉智英などがすでにやっていますし、同様に「ならず者」ならば福田和也もいます。幻想と知りつつ「保守」として立つとしても、西部以上のことはなかなかできません。「こじれ左翼」(外山恒一)による「左翼解放運動」については、左翼そのものの存在意義が失われてしまったゆえ、もはや解放運動でもないと思います。
まぁ、佐藤氏は毛髪の面ではそろそろ呉智英クラスに突入していると言えないこともありま……。アッ、何だお前は!!! ドカン、ガーッ、ピーッ……、ヤメロ! 〜×■★#∇&@(以下、聴取不能)。
説明
事件が起こったのはその時だった。会場の中から「黒のTシャツと黒の野球帽をかぶった小太りの男が現れ」、「てめぇ、まだそんなこといってんのか!!!」との怒号とともに、壇上の私に襲いかかったのである。男はテーブル越しに私を殴りつけ、その後テーブルに上って私に足げりを喰らわせた。結局、男は捕まえようとする店員に「ナチス棒と催涙スプレーを振り回した」あげく、まんまと店外へ逃走していった。
咄嗟のことゆえ、犯人の人相は判然としない。が、私には分かる。犯人はあの男だ。そうに決まっている。薄れ行く意識の中で、私は確信した。(終)
註
(2)『SENKI』一九九七年10月25日号、参照。 (1)『SENKI』一九九七年10月15日号、参照。