第3章  事件をめぐる報道




 普通なら、しばらく噂にのぼるだけで消えていったはずのこの事件が各方面のメディアに取り上げられるに至ったのは、自賛するわけではないが、やはり『共同声明』の発表と、その出来るかぎりの広い範囲への配布による功績ではないかと思う。被害者側からのはっきりした態度表明が、こういう場合は大きいのだ。
 「ブント」が当初の方針を変更して、沈黙を破り、襲撃者として抗弁しなくてはならなくなったのは、こうした報道のためである。この後、「ブント」と『共同声明』の“文闘”は“観衆”を意識し、時に“観衆”との応答をも含んだものになっていった。
 例えば『SENKI』'97 11.5(28頁参照)の文中で『模索舎月報』の襲撃批判に「ブント」が抗議したこと、これに対して模索舎側が「今度訂正記事を出すとか言ってた」ことが明らかにされている。その後、出された“訂正”記事が、本章42頁以下である。
 ロフトプラスワンを“乱闘酒場”と形容し、それにあわせて様々な暴力事件を捏造した『SENKI』の記事に対しては、当時のロフトプラスワン店長の脇田敦氏がロフト機関紙『LOOF TOP』で遂一反撃した(40頁参照)
 「ブント」側にはトロツキスト党派「スパルタシスト」が助太刀している。
 そして、事件報道の最後を締めくくったのは、他ならぬ『SENKI』紙上に掲載された山崎カヲル氏による「ブント」に向けた「いましめ」のことばであった。